石敢當

石敢當(いしがんとう)

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路地の曲がり角や突き当たりになにやら文字を刻んだ石碑
石碑には「石敢當」あるいは「泰山(たいざん)石敢當」と刻まれている
さてこの「石敢當」はいったいなにか?
幼い頃から当たり前に見てきたうちな~んちゅに聞くと
『マジムンが入ってこないためにある』とだいたいの人は答えるはず
じゃあなぜ「石敢當」なの?漢字の意味は?という質問には
年配の方を除きほとんど答えられないはず・・・
というわけで、三線ノススメでは正しいというかこうであろうという説をお伝えいたします
「石敢當」は主にT字路や三叉路、十字路の片隅など突き当たりの部分に立てられるのだが
その理由は、邪鬼が進む前方に「厄払い」として立てるためである
邪気は光のようにまっすぐ進む。それを跳ね返す。だからT字路や三叉路、十字路の突き当たりなのだ。
前述のマジムンとはすなわち魔物のこと
ちなみに石敢當は、全県で1万基を数えるという

道教の伝来と石敢當の始まり

石敢當は道教が琉球に伝来した頃に伝わったとされるが時期がいつごろかはよく分かっていない。
中国との交流が始まったかなり古い時代からと思われている。天尊廟の鐘に景泰7年(1456)とあることから
尚思紹王代(1406~1469)には、すでに伝来していたことが知られている。

道教は日常生活に関係を持つものが多く、琉球固有の信仰と結合して広まった。
「火の神:ヒーヌカン」信仰は、道教の「竈神:ヨウシン」信仰と、「地の神:ジーヌカン」は、
「土帝公:トーティクン」と融合し、各地に広まっていった。

家の入口にある屏風(ヒンプン)、入口の護符、赤瓦屋根のシンボルの獅子(シーサー)や石敢當
などが道教の影響を深く受けている。

最も古い石敢當は、久米島町具志川の石敢當で1733年の建立といわれる。土地の旧家である上江洲家
の路地の突き当たりに立てられている。那覇市首里石嶺の御殿山(うどぅんやま)にひっそりと建つ石敢當。
創建年代はかなり古いと思われる。石の表には「泰山石敢當」と刻まれている

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