レとラがないド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの六音から成る音階。 インドネシアのぺロッグ音階も同様の構成。 ガムランとの共通性はこの音階による。 島が音楽を音楽が島を創った。 南洋特有のけだるさと明るさの原点はまさにここにある。
矛盾するようだが琉球音階は厳密には六音ではない。 六音でももちろん正しいのだがあくまでも西洋音階を基準に対比させると六音であるということである。 琉球音楽を西洋音階で全て理解することはできないのだ。 監修である玉城政文先生から是非とも琉球音楽の深みを学び、是非とも本サイトで明文化してみたい。 その時には琉球音階の命題に本サイトなりの解答を出したい。
調弦のこと。弦試し(つるだめし)という古語が転化してチンダミという沖縄方言として現在に残った。(照屋林助氏 談)
基本的には男弦(ウ−ジル)中弦(ナカジル)女弦(ミ−ジル)の順番に西洋音階のド・ファ・ドにあたる音で調弦する。
チンダミについても琉球音階と同じで西洋音階の合理性では理解できないことがある。ド・ファ・ドの音が奏者各人により微妙に違うのだ。 その日の喉の調子、男性、女性、各自の音階で変わってしまう。琉球音階はそれが許される。 合奏の時は誰それの音に合わせましょうとなるのだ。
本サイトでは基本的に玉城政文先生の音に合わせることにします。ここをクリックしてください。
俳句の五七五に対して琉歌の形式は八八八六の三十文字で構成される。 古典、民謡とも大部分の歌詞は琉歌の形式から成っている。 恩納ナビー、吉屋チルーなど女流歌人が有名。 琉球音楽、三線の始祖とうたわれる赤犬子(アカインク−)が琉歌の創始者という説もある。
簡単に言えば古典とは琉球王朝の宮廷音楽である。 1625年頃、現在の湛水流の始祖、湛水親方幸地賢忠(タンスイウェーカタ コウチケンチュウ)により完成された。
琉球王国は察度王の治世1372年にはじめて明国との交易を成立させた。 19世紀まで続く大航海時代の幕開けである。 14世紀に当時の明国よりはじめて正式な使者を迎えて以来、冊封使と呼ばれる明、清からの使者は1866年までの約500年間に渡り23回も来琉している。最も重要な国賓である彼等をもてなすために宮廷芸能(歌 三線 舞)は発達していった。 先述の湛水親方幸地賢忠が歌三線いわゆる古典を玉城朝薫(タマグスクチョウクン)が組み踊りを完成させ総合芸術としての宮廷芸能が成立したと言われている。
古典が国賓をもてなすために生まれた宮廷音楽であるのに対して民謡は庶民の生活から生まれた歌と位置付けられる童歌・労働歌であり即興歌であり流行歌である。 アジア一円に広がる歌垣(自作の即興歌で会話する。中国少数民族ミャオ族の歌垣が有名。彼等は歌で愛を告白し愛を語り求婚する)の形態も色濃く残していて八重山のトゥバラーマは顕著まさに歌垣そのもの。
伊江島にはキーフゾーと呼ばれる歌垣があったと聞く。 畑仕事の帰り道などに音声で三線を(口三線 トゥントゥルテン)煙管や煙草の葉を入れる携帯用木箱(これがおそらくキーフゾー)を煙管でポコポコ叩き即興の歌を交換しあう。
これぞ歌の原点ではなかろうか!