民 謡

 

■「漲水ヌクイチャー」

 


歌 詞

漲水の舟着の
すなんなぐぬよ
ヤイヤヌ ヨ−イマ−ヌ−ユ−
すなんなぐぬよ


歌仮名

ピャルミズヌ フナツクヌ
すなんなぐぬよ
ヤイヤヌ ヨ−イマ−ヌ−ユ−
すなんなぐぬよ

解 説
宮古島のカチャーシーというイメージがだいぶ強いですが
実は鎌倉、室町時代にかけて大和から伝来された
念仏踊り、小歌踊り、太鼓踊りなどの類いのいわゆる風流踊りが
原形ではと言われています
クイチャーは雨乞い、祭祀の場、その他日常の娯楽の場等で踊られます
雨乞いのクイチャーについては上野村宮国のものが
平良市狩俣の舞踊「マーイユニ」との関連から古態につながる可能性が指摘されています
また祭祀の場においては御嶽の内外でクイチャーが歌い踊られます
歌詞・旋律でなく上演空間と演者の資格によってクイチャーの
祭儀性と娯楽性が区分されるようです
*人頭税*に苦しんだ宮古の人々が、年に一度の夏まつりにすべてを忘れて歌い踊る
大勢の人が円陣を作り、手を挙げ、足をあげ熱狂的に演じられ
忍従の苦しい生活を突破るがごとく夜明けまで続く
単純かつ素朴な踊りは一度参加すればすぐに覚えられるもので
歌の進行につれてテンポが早くなり、すべての悩みを忘れさせてくれるのは事実でしょう
忍従の 歴史が長く、苛酷であっただけにこのクイチャーには
宮古人の血と魂がこもっていると古老はある文献で語っていました
腰や上体を上下動させる宮古島南部中心の様式と
歩く動きを基本とする北部の池間島中心の様式と
踊り方に違いのある2つの様式がありますが
基本は円陣を組み手拍子と足踏みをして歌を歌います
クイとは「声」、チャースは「合わせる」の意味
歌は、豊穣を祈る歌、雨乞いの歌、恋人への思いを込めた歌、生活や労働の喜び
苦しみなどを歌った歌など多様な内容です
踊りはリズミカルで力強く、両手を前後左右に振り、大地を踏みしめ躍り上がるような動作を繰り返し、合間に手拍子を打ちます

ちなみにこんな歌詞があります
〜保良真牛(ボラマウス)が沖縄(ウギナ)から
 上(ヌウ)りむみやばよヤイヤヌ ヨ−イマ−ヌ−ユ−
 上(ヌウ)りむみやばよ〜

保良真牛 平良市保良出身 人頭税廃止運動の中心人物で
中央まで陳情に行った この歌詞は彼が首里、大和から島にもどったら
きっと幸せになれるという意味の歌詞のはじめの句であり
漲水ヌクイチャ−も保良真牛の句に続く一連の歌詞のようです
人頭税石(にんとうぜいせき)

宮古諸島は世界でも類例をみない悪税といわれた人頭税によって苦しめられた島です。
慶長14年(1609年・江戸時代)薩摩の琉球侵略で、琉球王府が財政に困り、その対策として男女15歳以上50歳までの人を対象に、人頭税石の高さ(143cm)より背が高くなると男は粟を女は宮古上布の納付が義務づけられました。人頭税石はその重税の名残です。
この悪税は明治になっても続き、島民らの帝国議会への直接請願の結果、明治36年(1903年)になって、ようやく廃止されました。昔の人は、どういう思いでこの石の横に立ったのでしょうか。
 
訳:「三線ノススメ」編集 新垣篤

 

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