チーガ (胴)

開鐘中の開鐘と誉れ高い盛嶋開鐘は平成十一年沖縄県立博物館の調べで

咸豊十年(一八六〇年)渡慶次筑豊之親雲上(とけしちくどぅんぺ一ちん)の作と判明

胴内壁には他の三線にはない段差のある、くの字形襞状構造がみられた

これが音のよさ、響きのよさの原因ではないかといわれている

盛嶋開鐘は戦災で一時行方不明であったが、戦後ひょんなことから存在がわかり

持ち主であった尚家の手に戻り、これを沖縄県立博物館に寄贈したのである 

中村邦男(相模原市東林間)

この文章は島嶼社会研究会の小冊子「島嶼社会研究 第一号」1997年9月(第一号)に掲載されたものの一部です

開鐘(ケージョー)とはそもそも琉球王朝時代の首里城の時報のこと

鐘の合図で城門を開けたことに由来する

美しく鳴り響く鐘の音に因んで、素晴らしい音色を出す三線のことを開鐘というようになった

また異説では王が寝ている時に家臣が三線を弾き、その音を開鐘の音と聞違えて目を覚ました

そこから美しい音色を出す三線を開鐘というようになった

五開鐘の選ばれ方にはいろいろな説があり明確なものはないが

一般的には尚穆王の御代に

『真壁里主が作った三線は優秀であった為に

 特に音色のよい五丁に開鐘の銘を冠したことがはじまり』とされる

また大正五年の琉球新報には

『尚穆王が名だたる三線を集めて弾き比べをした

 夜の更けるに従いほとんどの三線の音色が悪くなるのに比べ音が衰えないばかりか

 ますます響きがよくなり暁を告げる開鐘が鳴っても美しい音を響かせているのが五挺あった

 尚穆王は厚く褒美を授け五開鐘として宮殿に納めた』という記事がある

それが尚家五開鐘と呼ばれる盛嶋(むりしま)開鐘、西平(にしんだ)開鐘

湧川(わくがー)開鐘、城(ぐしく)開鐘、アマダンジャ開鐘である

尚家五開鐘の記述は2000年に発行された『沖縄三線の起源と各型について 三線楽器保存育成会』より引用しました

                                      

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盛嶋開鐘チーガ 胴内