シーサー・石敢當について王国を守護した神獣 シーサー獅子(シーサー)はアフリカからバルカン半島、アラビア半島、インド中部まで広く生息している百獣の王ライオン そのものである。もちろん琉球王国には生息していない。 百獣の王ライオンは、遥かな昔から威風堂々の守護神であり、霊獣であり神獣と位置づけられた。古代オリエント では神を守護する神獣、エジプトでは王家の谷の守護神スフィンクス、ギリシャ古代エーゲ文明では神獣グリフォン、 ヒンドゥー教では神々の守護神、中国では仏法を護り悪霊を退散させる霊獣唐獅子、そして琉球王国では風水思想と 相まって王家を守護する神獣シーサーとなった。 琉球の歴史書「球陽」の記述によれば1689年、富盛(現八重瀬町)に度々火事が起こる。心配した村の人々が 風水師である久米村の蔡応瑞(大田親雲上)に村の風水を見てもらうと「村の南方にある八重瀬嶽に火の性があるので 獅子を造って八重瀬嶽の方角(つまり南)に向けて立てよ」と言われた。 それで勢理城(じりぐすく)に石獅子を立てると村に火事が起こらなくなったとの記述がある。富盛(現八重瀬町) から鬼門の方角にそびえる八重瀬嶽は魔の山で特に火事を起こす性が強い、だから魔を封じ込めるためにシーサーを置く。 シーサーは、いわゆる鬼門の方角となる北東、裏鬼門の南西、火伏せの方角となる南、それに門や突き当たりの 道に主に向けられる。王朝時代は村々の入り口や鬼門等に置かれたシーサーも現代では屋根の上や門柱に鎮座する。 14世紀、シルクロードの旅の途中に琉球王国に伝わって以来600年の時が流れても、シーサーは沖縄の守り神であり 続けている。 シーサーのススメ長嶺 操著「沖縄の魔除け獅子 写真集」によると最も古い時代のシーサーというと、は浦添ようどれの石棺の彫刻
1501年造営 王族尚(しょう)氏の墓、玉陵(たまうどぅん)のシーサー これらは中国からの輸入か、または王府直轄の技術者によるものと考えられ、後の魔除けとは異なり、 権威の象徴としての意味合いが大きい。 1.御殿獅子
御殿(うどぅん)獅子で現存しているのは御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)のシーサー。 2.村落獅子
村落の入り口にあり村落に入ってくる悪霊を退治する村落の守り神となっている。 その他
何らかの意味を持って方角まで考え設置されていると考えられる。 石敢當(いしがんとう)
路地の曲がり角や突き当たりになにやら文字を刻んだ石碑 道教の伝来と石敢當の始まり石敢當は道教が琉球に伝来した頃に伝わったとされるが時期がいつごろかはよく分かっていない。 中国との交流が始まったかなり古い時代からと思われている。天尊廟の鐘に景泰7年(1456)とあることから 尚思紹王代(1406〜1469)には、すでに伝来していたことが知られている。 道教は日常生活に関係を持つものが多く、琉球固有の信仰と結合して広まった。 家の入口にある屏風(ヒンプン)、入口の護符、赤瓦屋根のシンボルの獅子(シーサー)や石敢當 などが道教の影響を深く受けている。 最も古い石敢當は、久米島町具志川の石敢當で1733年の建立といわれる。土地の旧家である上江洲家 の路地の突き当たりに立てられている。那覇市首里石嶺の御殿山(うどぅんやま)にひっそりと建つ石敢當。 創建年代はかなり古いと思われる。石の表には「泰山石敢當」と刻まれている |


